Novel

自分で思っていた以上に大切だった

 夢を,見たのだ。

 佐和山は霜月ともなると冷え込みが凄まじい。朝起きるにも,火鉢を焚かなくては手も足もかじかんで動けない。それでも,朝から小姓に頼らずに自ら火鉢に火をいれ,左近が布団の中で自堕落な姿をしていても動き始めている三成は尊敬に値する。
 そう告げたら,寺小姓の癖が未だに抜けぬと彼は答えた。

 十日の内左近が三成より先に起きることが出来るのはしたがって一日程度しかないのだが,今日はその珍しい朝となった。小姓が火鉢の火を持ってくる足音で,左近は目を覚ます。もし三成が起きていれば障子が開いているのが普通であるから(そして左近は日ごろ,その三成の所業によって冷たい風で頬を叩かれて起床するのである),小姓は静かに障子を開けた。左近が自分の殿の部屋にいることにはさして驚かない小姓だが,自分が障子を開けてもまだ三成が眠っていることには驚いたようだった。
 左近は黙って人差し指を自分の口にあて,小姓もすぐに微笑んで了承し,火だけを入れて一礼して去っていく。少しだけ空いている障子の向こうに見える秋晴れの空を見て,左近は頷いた。これで朝の執務に少しばかり遅れても,佐和山のよく出来た家臣たちは笑って過ごすだろう。
 疲れているのだろうか。
 改めて自分の殿が眠る表情を見る。いつもより少し険しく,眉間にはしわが刻まれていた。
 眠っているときにまで難しい数字のことを考えているのかもしれない。
 左近は,三成の空気を多く含む柔らかな赤い髪を,地肌に触れないように気をつけて二,三度撫でる。すると三成は薄く口をあけて,少し息を吐き出した。
 夢の中でまでなにやら根を詰めているらしい。
 彼が起きたときに心地よいように,布団から抜け出して文机の上の窓も開ける。部屋に身震いするほど冷たい風が通り抜けると,三成は目を開いた。二,三度同じところを見て瞬きをした後,左近を探して視線をめぐらせる。
「おはようございます,殿」
「小姓は,もう来たのか」
「ついさきほど。火を入れてくれましたよ」
 掠れた声で小さく尋ねる三成に,左近は近づきながら答える。
 そうか,と答える声に,膝を折って視線を合わせ,小さく微笑んで軽く唇を交わす。

 ああ,左近がいる。

 三成はそう声にならないほどの吐息で呟くと,左近の骨ばった顔を撫でた。どこにも行かず,ずっと殿の傍におりましたよ,と答えると,ああ,あれは夢だったのかと三成は呟いた。
「夢を見ておられたのですか」
「ああ,お前を探す夢だ」
 そう言うと,三成は左近の体を引き寄せるかのように強くしがみ付いた。
「左近がおりませんでしたか」
「大坂の屋敷におるときに,佐和山におるお前が呼んでいると小姓に言われるのだ」
「左近が殿をお呼び立てするのですか」
「まったく,けしからん話だ」
 三成は寝起きのかすれた声のままで,小さく息を吐いて笑った。肩口にへばりついた三成の頭を離して,眉間に刻まれたしわを指でなぞってやる。
「夢を見ながらまで,しわを作ってはなりません」
「俺は夢の中でも眉間にしわを寄せていたのか?」
「ええ。まったく,綺麗なお顔が勿体無い」
 思うが侭に言うと,三成は俯いて莫迦,と言った。その声にとげはなく,頬が少し赤らんでいるので,左近は深追いはせずにただ少しいい気分になった。
「それで,殿はどうなさったのです」
 夢の中で不快感を覚えさせたことに申し訳なさを覚え,左近は三成の不快な夢を共有しようとする。三成は顔を上げると,不安そうな顔をして続けた。
「俺は出かけようとして屋敷の部屋を出て隣の間に行くのだが,妙に暗いのだ。そして気になって障子を開けると,また障子がある。その障子を開けても,まだ障子がある」
「三枚も障子があったのですが」
「そうだ。そしてその障子を開けると,大坂の屋敷にはない庭があった」
 大坂の屋敷は狭いので.庭といっても名前ばかりの猫の額のような庭しかない。
 松の木が一本植わっていて,石だけを配した思想的な庭だ。
「広いのですか」
「広い。庭というよりも一つの山で,屋敷が山の上に立っているようなのだ」
 三成の手を握りこみながら,三成の不安そうな表情に左近はただ黙って頷く。
 不安を共有してやることしか出来ないけれども,それでも何もしないよりずっと彼のためのような気がする,と左近は自分に言い聞かせる。
「そして俺はその見慣れない庭に一歩降りる。すると強い風が俺を運んで,森の中の小道に俺を下ろした」
「そいつは災難ですな」
「そうするとそこに,喪服を着た女ばかり四,五人がいた。道を尋ねようとしたら,その女たちに,もう逃げられないですよ,といわれたのだ」
 なかなかない気味の悪い夢だ。
 左近は顔をゆがめて頷く。
「何故だ,と女たちに尋ねたら,私たちは大切な人に置いて行かれたのです,と答えた」
 暗示的な夢だ,と左近は思う。
 夢に快楽を求めるのはばかげている。しかし,辛いことを押し付けられるのは不条理だとも思う。
 まして戦いの中に身をおく三成と左近だ。
「何よりも辛かったのは,左近にもう会えぬという様に感じたことだ。本当に,また左近に会えてよかった」
「左近はそもそもそのような横着は致しませぬよ。ご安心くだされ」

 殿に左近を探させたりは致しませぬ。

 言った直後,三成の目に一瞬だけ浮かんだ不安そうな光を,左近はあえて見なかったことにした。三成が何を訴えたいのか,聞いてやることは出来るけれどもそれをどうにかしてやることはきっとできないだろう。
 彼か或いは自分が死ぬ日まで。
「そうか」
 三成は小さく肯定した。肯定というより,それは信託に等しく見えた。不安な顔を隠して,さて,支度をするか,と布団を跳ね除ける。
「殿,夢の中の空は,晴れておりましたか」
「いや,曇りがちであった」
「ならば今日の空をご覧下さい。まこと,爽やかな秋晴れにございます」
 三成は促され,障子を開ける。一枚しかない障子に安堵した表情を見せて,三成はそれを左右に大きく開いた。
 三成がわずかに口元に笑みを浮かべたので,左近は今日も無事に過ぎそうだ,と念じるだけは念じておいた。
 そしてなるべく彼の傍にいようと,当たり前のようなことを思って,なぜか胸が痛むのを覚えた。

***

殿電波受信中。
07-11-26


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