はつこい,なんてものが自分にあったことをふと思い出すなんて,面白くて仕方ない。くのいちは誰にも見えないように笑った。
遠くから見れば,自分は苦無を磨いているようにしか見えないはずだ。
はつこいは,かたこいで終わった。
何故急にそんなことを思い出したかは分からない。いや,わかるかもしれない。上田の忍の詰所に,その思い出が詰まっているからだ。いつだって思い出すかもしれないし,慣れてしまって思い出さないかもしれない。というか実際思い出すことなどここしばらくなかった。
先輩に当たる忍に恋をしていただなんてもし漏れたら,これは滑稽で仕方ない。
彼は,今もここで仕事をしている。彼女もここで仕事をしている。寿退職をするわけでもなく,ただ淡々と任務に当たっている。どちらも尊敬できる人たちだ。けれども,と思う。
小さな頃からここで育ったくのいちにとって,先輩は兄同然だったから,いわゆるひとつのよくあるはつこいだったと思う。そして今は祝福とかの感情もかなしみも薄れて,どうでもよくなってしまった。
だってあたしはもうあのひとじゃ足りない。
「くのいち,いるか」
「はーい」
はつこいのひとが自分を呼ぶ前に,くのいちは自分を外から呼んだ声に返事をした。そしてはつこいのひとがこちらに顔だけを向けていたので,今日もおあついですね,と声をかけた。隣に居る先輩のくのいちが少し顔を赤らめる。良い眺めだと思うと同時に,自分はその脇をすり抜ける。
「少し鍛錬を手伝って欲しいんだが,今は大丈夫か?」
「あたしは夜まで暇ですよん。ちょうど研ぎたてですし」
へへん,と笑いながら鋭い苦無を見せる。はつこいのひとはもう,これを見たら怖がるだろう。あたしの方が強いもの。けれども幸村は違う。ほう,それは熱心なことだな,といって彼は笑った。こんなすがすがしい笑顔を浮かべられても困ってしまう。殺気が削がれる。けれどもこのひとには本気で向かい合わなければならない。
自分がいっぱしの忍として働くことになったとき,はつこいのひとの部下として幸村に紹介された。よろしくお願いします,と少し控えめに頭を垂れて告げた自分に,こちらこそよろしく頼む,と幸村は笑った。
はつこいが終わる瞬間なんてそんなものだ。
惚れた弱みだ。絶対に負けてやろうだなんて思わない。はつこいのひとだったら,遠慮して実力の半分程度でしか打ち合わなかっただろう。けれども幸村は違うのだ。
絶対に負けてなんかやらない。
「今日も冴えているな」
「幸村様こそ,息上がってますよ」
二人してぜぇはぁ言いながら,笑った。
自分をさらけ出せる人に,はじめて出会った。それからずっと,たとえ彼が気づくことなど無くても,それでいいと思う。
自分はありのままでいたい。
それが幸村が自分を採ったときに出した唯一の条件だった。もちろん,忍としての条件だとかは前提に置いた上で,彼が追加らしい追加として出したのはそれだけだった。
だからお返しに,じゃぁあたしもありのままでいいですか,とたずねた。
彼はうなずいた。
運命の恋なんてそんなものだ。
「ねぇ,幸村様」
相変わらず息が荒いまま,二人でしばらく休憩を取っている。くのいちは決して幸村のほうを見ないようにして声をかけた。
これでも緊張してるんだぞ,とか心の中で笑いながら。
「あたし,幸村様の運命の人になれると思う?」
「運命の人?」
「そ,どんなときでも必ず幸村様を守るの。その代わり幸村様はあたしをずっと大切にしてくれるの」
彼は決してこれを大胆な愛の告白だと捉えることは無いだろう。くのいちが言った言葉の字面だけを見て,是と答えるだろう。それでもよかった。はじめて自分を受け止めてくれる人が,自分のことを相手がすべてを預けられる相手だと思ってくれるならば,くだらない言葉遊びだって楽しい。
「それを運命の人というかどうかは分からないが,私はお前にそうあってほしい」
ほらみたことか。
はつこいのひとにもしこう言ったならば,あるいはいま彼の隣に居るのは自分だったかもしれない。けれどもくのいちはこれで良いと思う。幸村はそういう人だから,その人格を自分に預けてくれているからこそこの返答が出来るのだ。
「わかった,覚えとくよ」
だからその返答を決して忘れないだろう。
そしてくのいちは予告無くまた獲物を振り上げた。幸村もきちんとそれを受け止める。まだ息は荒かったが,えへへ,と笑うくのいちに苦笑しながら,幸村もまた獲物を振り上げた。
***
くのいちかわいいよくのいち…!!
秘めた思いを全然気付いてくれない幸村さまにぶつけまくるところがいいよ…!!
07-05-28