Novel

救う事が出来なかった日の話

 危ない橋を渡ってまで会うべき相手ではない。そんなこと,分かり切っている。
 だからって夢に出てこなくても良いだろうに,と答えるはずのない夢の住人に毒づく。
 死に場所を探しているのだろう,と笑った。その顔がきっかけだったとしか,今となっては思えない。いずれにしても彼はさほど自分と本来重なり合うところにいるわけではない。けれども気付けば視界にいるし,何かと突っ掛かる仲になってしまうし,そういう関係を人は仲が良いというのですよとか気味の悪いことを囁かれると気にせずには居られない。
 ただいつぞやか言い争いをしたとき,一体貴様はなんのためにそんな愛やら義やら抱えているのだ馬鹿めというと,彼は面白いくらいに固まった。
「民か?貴様は為政者には向かない戦の仕方をするから違うだろうな。友か?それならば周りははた迷惑に思うことはあろうがおかしくはあるまい。それともそれ以外もっと明確な答えを持ち合わせておるのか?儂を納得させられるのか?」
 夢だと理解していながら過去のことを回想する感覚は,不思議に気持ちの悪いものではない。もとより自分との会話を良くする伊達のこと,何か言いたそうに夢の中で目の前に立ち尽くす男を見ながら,回想に身を窶すのは何もおかしな話ではなく,むしろこの既視感の正体はなんだろうとばかり考えている。
 真田のくのいちがはるばるやって来てした頼みごとを,結局自分はやった。上杉はかつての鬼神を失ってもなおぬかりのない集団,しかしもはや叛意はないのだからさほどの厳しい処分は必要ないと申し出た。家康が何故それを受け入れる気になったのかには興味がない。ただこれで,あの少女が少しでも自分を認めてくれるならばいいとは思った。幸村の傍控えの彼女の目は,半端な剣筋よりも鋭い。それで自分が持つ憂いの正体を掴んでいる幸村に自分が認めてもらえるならば,それでいい。
 ただ,この男は,と思う。
 幸村が抱える社会的責任はさほど大きくないけれども,夢の中で立ち尽くす男の責任は少しばかり形が違う。この男は家老だ。上杉という家の政治的支配を背負う立場だ。それが民のことを考えずに自分の正義感だけで動くのが余りにも気に喰わない。だから厳しい言葉をぶつけた。
 それが彼の弱点だとは推測はしていたけれども,目の前の男は自分にいわれた言葉の意味を少しだけ反芻して,何かを考えて押し黙った。
「義や愛のために戦うのは結構だが,それは何のためにお前を支配しておるのだ」
 夢の中で目の前に立つ男にまた畳み掛ける。ああ,あのときあの男は信じられないようなおろかなことを言ったのだ。死に場所を探しているのだろう,と笑った。記憶の中にある上杉が時として見せる彼岸と此岸を行き来する者特有の,気味の悪い唇だけ形作る笑顔。この夢のなかでもきっと彼は同じように言うのだろう。
「私の,死に場所のためだ」
 答えた男はやはり能面のように笑っていた。
 そこまできて夢の中の自分は理性を取り戻す。自分は,この薄気味の悪い男のことを忘れられないから夢に見るのだ。何度も何度も繰り返し,同じ問いかけをして,同じ答えを得るためにやり取りをする。それはまるで恋を覚えたての少年のようで,しかしもっとその感覚は生々しいものを持ち合わせていていけない。
 恋ならば溺れることだけで救われる。
 だけれどもこの感覚は嫌悪に立ち,そして関ヶ原が終わってからこの男は変わったと聞く。そしてその変わってしまった彼を見たくないと思う時点でもう自分は駄目なのだろう。
「何故,それを毎夜儂に言いに来る」
「政宗」
 呼ぶ声は意識が白み始めて透けて不安定でその瞬間だけ感情が擦り替わる。
 まるで恋のように。
「私を殺してくれ」
 よみがえる関ヶ原の記憶。
 支配する枯れ草の匂いの中で,この男はどこにいくのだろうとふと思った瞬間だけこみ上げた愛しさに似た何かをまたそういわれて思い出し,けれども冷酷な自分はそういわれたところで彼に手を掻けることも出来ずにただ意識が白むのを待つ。
 そして目覚めたとき彼のことをまたすべて忘れているのだろう。
 空しいとは思わないけれどもこうしてまた後悔を繰り返すのは自分らしくないと思う。

***

夢の通い路的な。政兼ってむずかしい。深い。
08-03-23


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