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- 「寄るな触れるな話しかけるな,行くな離れるなこちらを見るな」

「さすが,兼続」
「ありがとうございます」
 聞こえたやり取りに伊達は思わず足を止める。大体何故あいつは卒業してまだ高校の弓道場に来るのだ馬鹿め。それはひとえに世間に弓道場というものが足りないのと,直江が彼らのコーチに来る上杉の愛弟子であることが理由であることを分かっていながらぼやいてしまうのは,人間のサガというものではないだろうか。
 直江兼続。伊達の2歳年上に当たるこの男は,実際に戦国高校の弓道部の歴史に名前を刻む程度には結果を残している。弓道では比較的強いといわれている戦国高校の中でも名前を残しているのだから,なかなかの腕なのだろうとは認めている。まぁいずれ自分がそれを越える自信のあることは言ったところで仕方がないので黙っておくが。
 その直江に随分と自分は嫌われている。
 嫌われているというのが相応しいのかはよく分からないが,会えばとりあえず小言から始まり喧嘩に発展する。その言い争いの内容がまた低次元で,大体は貴様のその分厚い唇は何だとか何故貴様は眼帯をしているのだなどというどうしようもないやり取りに終始する。眼帯の件に触れてから直江がはっとしてすまない,と言い,それで大体やり取りは終わるところまで見え透いているから伊達は頭を抱える。
 今日はサボって帰ろうか。
「おぉ伊達,今日も邪魔するぜ」
 肩を落としたところに更に間が悪く声がかかり,弓道場の入り口にまで足を掛けていた身としては引き返すにも引き返せなくなる。
「凌か。毎日毎日ご苦労なことだ」
 目の前に立つ男はここからバスで20分ほど離れたところにある三国高校からせっせと弓道を習いに来る凌公績という。三国高校は理事の方針で剣道には力を入れているが,弓道の方にはあまり理解がないらしく,何年も前から三国高校の弓道部は姉妹校である戦国高校まで通ってくるという方針になっている。
 彼自身は少しだけうねる髪に,泣きぼくろをもつ天性の優男である。髪に関しては本人は天然だと言っているが,どうだかと伊達は思っている。いずれにしても三国高校は校則がゆるいので,パーマの1つや2つでがたがた言いはしないのだろう。
「ご苦労といえばこの音。直江さんか?」
「そのようだな。上杉コーチも来ている」
 人に会ってしまったからには避けて帰るという選択肢もない。伊達は潔く諦めをつけて,弓道場に足を踏み入れる。凌は苦笑しながらフォローできたらしてやるといってくれた。期待しないでおこうと心に固く誓う。
「おや,凌君に山犬ではないか」
 なぜなら第一声がこれである。
 山犬,という罵りの原因の1つに自分の背丈があるのではないかと思うと伊達は心底腹が立ったけれども,とりあえず凌といっしょに上杉に頭を下げておく。直江に頭を下げるのは癪だが,今日はそれだけで収まるかもしれないと思いついでに下げておくと,もうひとつ非難が飛んできた。
「相もかわらずおざなりな頭の下げ方だ」
 無視だ我慢だ放っておけ。
 直江は伊達が返答しないと見るととりあえず溜飲を下げたのかそれ以上は何も言ってこない。上杉の手前だということもあるのだろう。凌と並べてカバンを置き,おさまったな,と目配せされて肩をすくめた。どうせ,まだまだこれからだ。

 しばらく稽古した後,休憩に入る。弓道部はさほど人が多いわけでもない。今日来た2年生が自分と凌だけだったということもあって,伊達は2人で隅の方に掛ける。
「会者定離」
 その視界の隅で,上杉と直江が2人で話していた。何か会話があった後,直江が弓を引く。
 直江の引きの溜めは長い。しばらく溜めた後,手にほとんど力を入れないで離す。その理由を彼は弓と矢が離れるのは必然だからといっていた。上杉もそういう引き方をする。
「的を狙うだけならば,自分の手元を離れた矢は必然的に的に出会わなければならない」
 人を狙うならともかく。
 凌は上杉をなかなか心酔しているらしく,上杉の愛弟子の直江の引き方にも近しいものがあるのだろう。休憩だと称して座っている割に,その視線は弓を引くものから離れない。
 伊達はペットボトルの水を飲みながら直江の姿を見る。
 りりしい。
 会者定離,出会った弓と矢は必ずいつか離れる。人と人がそうであるように,自然と離れるのが理想,らしい。
 その弓と矢の別れをつかさどるときの直江はひどくりりしい。
 別れについて感情はいらないのだろう。
 そのときだけは伊達は直江をうつくしいと思う。凌も言っていて認めなければならないことの一つが,直江の顔が端正だということだ。少し分厚い唇も,綺麗な大きな眼と合わせればさほどアンバランスではない。
 いつもああして端正ならばどれほど彼はうつくしいだろうに。
 そこまで考えてから舌打ちする。目を背け,自棄になって水を呷る。
 会者定離。
 いくら憎まれ口を叩いても,いつか彼と離れる日が来るだろう。
 学生などそんなものだ。
 それに気付いたときにぞっとした。人はいつか離れる。生徒会で接している石田も,くのいちも,真田も,家庭教師に来てくれる孫市も,こうして毎日会う凌も,いつか会わなくなることが普通だという日が訪れる。もちろん,直江とも,会わなくなる日が来るだろう。
 そう別れをつかさどる彼に気付かされたとき,いつもの彼の声が聞こえなくなると思うことを伊達は嫌悪した。いつもの彼の声も嫌悪であるはずなのに,聞こえなくなることも嫌悪するなどという矛盾が辛い。
「伊達」
 凌に気遣われるように声を掛けられた。
 何かあったのかと尋ねられる前に足音がとすとすと寄ってくる。直江が寄って来ると,先ほどの寂寞の感情など吹き飛んで警戒心が勝る。凌の気遣いにだけは感謝しておこう,気付かないまま声を掛けられたらひどく不幸だ。
「引いてみろ」
 随分と乱暴な物言いだと思いながら,ちょうど休憩も終わりだと思い伊達は素直にはい,と言う。なるべく無用な会話をしなくて良いように,壁に立てかけてあった弓と矢を手に取る。
 凌が苦笑いを浮かべたので横目に睨んでおいた。見えない視界にかかって不愉快だ。

 病でふさがった視界は逆に弓を引くのには向いていた。視界がぶれない。弓と矢の別れが大切なのか,矢と的の出会いが大切なのか,そういわれたら的をまっすぐ見ることの出来る自分は的だと答える。
 隣で自分を見る直江の意図が読めないけれども,そうしろといわれたからには伊達は従った。上杉は外に煙草を吸いに出て行った。直江直々に射方を教えられるのは悪くない。
 引ききってから矢に的と出会えるように,静かにただ的を見据える。射殺せるものならば射殺したいほど彼が憎たらしいのに,いざ射る段になったらきっと自分は躊躇うだろう。ふと伊達はそう思い,そして自然に任せるように矢を放す。
 そこそこ良いところに当たった。
「私が煩わしいか」
 ふ,と息を吐いて弓を下すと,隣から直江に唐突に言われた。何故だ,と目で問いかけると,殺意を持って弓を引いていると思った,と答えられた。
 この男,何か見えるのか。
「煩わしいが,離れるのは更に煩わしい」
 伊達は珍しく思うままに答えた。きゃんきゃんと何か吼えられるのを覚悟して言ったが,直江はそうか,とだけ答えて自分も弓を手に掛けた。
 薄気味が悪い。
 一歩引いて直江が弓を引く姿を見る。何かおかしいと思ったのもつかの間,彼はいつものように溜めることなくさっと弓を引いた。見当外れの方向に飛んだ矢は直江らしくない,と伊達が目を細めると,直江は小さく呟いた。
「会者定離,おそろしいと思わんか」

 このタイミングはなんだ。
 そんなはずはないが伊達は自分と恐ろしく重なった思考の持ち主をじっと見た。上杉が煙草から戻ってきたおかげで会話が続かず,直江は上杉の方へと歩いていく。
 調子が狂いそうだ。
「伊達,今の良かったな」
「そうか」
 後ろから掛かった凌の声には返事だけしておく。今の別れを惜しんで自然を望んだ射方がそう何度も続くとは思わない。けれども,次いで凌が言ったことには心が揺れた。
「お前にしては,直江さんに近い射方だったな」
 ぞっとした。
 魅入られている。
 別れを恐ろしいといった男が何を考えてそれを自分に言ったのかは分からない。けれども伊達は無性に直江という男を暴きたくなった。それはたとえるならば恋に似ていて,
「凌,彼氏は達者か」
「まぁそこそこ,ってお前何を聞いて来るんだよ」
 たとえばこの男たちが築いているような自然な関係はむつかしいだろう。
 別れを恐れる男に自然の寄り添いは相応しくないかもしれない。
 それこそ嫌悪で当たるぐらいで丁度いいのだろうか。

 そこから散々な成績になった直江を見ながら,伊達は少しばかり彼の分厚い唇を欲しいと思った。

***

はじめての直江伊達。っていうかキャラ立てが分からん。凌統はもっと分からん。でもめっちゃ楽しいですこれ。
2007-12-07


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