Novel

神様なんていない

 土方は暫く誰をも寄せ付けないで1人で黄昏て煙草を吸っていた。今日はその様子をただの格好付けだと冷やかす少年もいない。そもそも屯所に人がいない。武州は今頃,晴れているだろうか。ふとそんなことを考えた。考えたからと言って素直にそこに行けるほど自分は素直な人間ではなかった。あの倉庫の裏にいたときと同じように彼は良いんですか,と尋ねたけれども,最後までそのままの方が良いと思うと答えておいた。
 山崎は,そうですか,と言ったきり,一度も何も言わなかった。
 その彼が何を考えているのかを察することは土方には出来なかった。
 土方が惚れたの好いたの言うのは決して数が少ないわけではない。それなりに今度と言う今度こそ幸せにしてやれたらいいのにと思ったことがないわけではない。けれどもそうやって不器用なりにも触れようとする手を受け入れられたと感じたことはさほど多くない。受け入れられない理由は多々あるだろうが,何よりも結局のところ自分は彼女達と分かり合えないのだろうと思っている。面倒くさいのだ,なにもかも。自分がこう思ってこうやって行動しているというのを説明するのは面倒だし,それを何故なのかと叫ばれようものならば反射的にうるさいと思ってしまう。男と言うのは往々にしてそうではないかと思っているが,必ずしもそうではないからきめ細やかな男と言うのは世間に受けるのだろう。
 あいつは,と思った。
 昨日どんな成り行きだか知らないが爆発していた髪を,彼はもう今日には直していた。極秘扱いにしろと言った任務を,極秘扱いに出来なかったことを反省していると,人づてに聞いた。それを聞いた相手が近藤でなかったとしたらおそらく山崎自身の望むとおり切腹させていただろう。だが,山崎が敬愛しながらも常に一歩身を引く相手である近藤に,それでも態々命令違反をしてしまったことを静々と語ったらしい。山崎は近藤を信頼しているが,信用はしていない。人として頼りにはしているけれども,俺の仕事のことを話すのにはあの人は綺麗すぎる,と彼は以前言った。それを自分はそのとおりだと思った。その彼が,自分で汚いと思っている仕事の話を近藤にした時点で,山崎は何か言いたいことをいえないのだろうと勝手に考えた。それを引き出せなくてはきっと今回の命令違反を恥じて彼は腹を切るだろうとも思った。
 短くなった煙草を足元で消そうかと思ったが,そんなことをして余分に彼の機嫌を損ねるのは御免だから舌打ちだけをして縁側においてあった灰皿で揉み消す。不自然に足音が聞こえて,あぁこれは先程まで自然に消していた足音を自分の範疇に入ったことで態と出しているのだと気付く。案の定廊下を曲がってきた彼は何を察したのか絶妙のタイミングで新しい灰皿を持ってきていた。ついでに茶も汲んできている。むしろ茶がメインで灰皿が後付けかもしれないがそんなことに興味はない。どうやってこの全てをのらりくらりと躱そうとする男を暴くかが問題だ。
「武州は,晴れているそうですよ。先程局長からお電話がありました」
 その伝言を頼まれましたので,と山崎は頭を下げる。シルバーの縁取りのされた隊服の隠しにいくつも自分には用途も見えない武器を仕込んだこの男は,そのくせ金属音の一つも鳴らさなかった。あァ,と答えて茶を盆から勝手に取ると,部屋の中に放り投げてあった携帯電話をちらりと見た。おそらく近藤から着信があったとうるさく光っているのだろうが,今それを取りに行く気にはならない。近藤は恐らく土方が電話に出ないだろうと思ってワンコールで切った後,山崎の携帯を鳴らしたのだろう。土方に会いに行く口実を態々作ってやるために。
「なんで,応援を呼んだ」
 灰皿を片付ける彼の白い項を見ながら言った。山崎は案の定ぴくりと体を震わせた。土方の命令に彼が違反したことは,さほど多くない。土方が今まで惚れたの好いたの言った相手の人数よりも山崎の命令違反の方が少ないだろう。それは誠実さの証,だったら面白い。
「テメェが俺の命令に違反したことはほとんどない。今後のために,どうしたら違反するのか聞きたいんだ」
 斬るのはそれからでも遅くない,と付け足す。
 甘やかしたのでは,余計に彼は腹を掻っ捌くに決まっている。
 わざとらしいほどの冷たさを滲ませる。
 山崎はそれで安心したように,俯いたまま固まっていた動作を緩慢に再開させた。短くなった煙草はまだ灰皿から溢れるほどではなかったけれども,近藤がきっとなにかいらないことを言ったのだろう。大丈夫なのに。この男は話したければ誰がけしかけなくても自分のところに来るし,話したくなければ絶対に来ない。それを寂しいと思う自分は恐らく傲慢で強引でそしてそれでいて寂しがり屋なのだろう。
 どんな彼でも傍に居てほしいだなんて。
「誰もの神様になろうだなんて,貴方はムシが良すぎやしませんか」
 長い刀をあまり好んで使わない彼の手首は,自分よりも一回りは細い。一回りと言うのは人差し指と親指の作る輪の一回りなので,あながち言い過ぎでもない。その細い手首は新しい灰皿をことりと自分の隣において,盆に口実を作った7割程度の灰皿を載せた。そして俯いたまま話そうとしていた山崎はしかし土方がそれを許さないで自分の顎を引き上げようとしているということに気付き,そうなればと潔く顔を上げた。華やかさはなくても端正で目じりの吊った山崎の顔が土方は好きだ。そしてそういうときに潔く顔を上げられる彼の潔さが好きだ。
「貴方は俺の神様にしかなれない」
 口調の裏に,近藤に相談しなければならないほど切羽詰った感情が,鈍い土方にすら見えた。彼の中に荒れ狂う感情はなんだろうか。怒り,なのか,嫉妬,なのか,絶望,なのか,そのいずれにしても中心にいるのは自分だということを土方は知っていた。どうやっても結局彼が自分から離れられないようにしたのは自分なのだから,彼を置いて自分が一人でどこかへ行っては彼が切羽詰るだなんて本当は知っている。
「あんな酷い顔をして,あんな事を言ってる貴方は,」
 結局,あのふざけた顔をした爆弾を握り締めていても,奴らが脱出するための車を押さえていても,それはすべてこの目の前の男の功績だと土方は分かっている。彼は彼でそうやって自分の傍にいるために何でもするし,そうやって自分に尽くす彼を最大限利用しているのは自分だ。それでもそうやって彼の本音を聞かなくてはならないのは,結局自分も鬼だとかなんだとか言われていながら,好いた惚れたその相手を今度の今度こそと本気で馬鹿かなにかのように思っているからだろう。
「俺の手の届かない人になってしまう」
 潔く顔を上げた山崎は,灰皿を扱っていた細い手首を唇の端から眦へと辿らせた。
「そんな酷い顔だったか」
「惚れ直しましたよ。俺はこんな鬼の犬だと思うと嬉しくて」
 山崎の体を抱きこむと,彼は言いかけた言葉を途切れさせた。
 煙草くさい,と小さく呟いた彼は,その煙草くさい隊服の胸に顔を埋めた。腹掻っ捌く前にせめてこの体を独り占めさせてください,と彼は珍しく言った。させられるはずもないことを言う彼を,一体どうすれば良いだろうと思う。
 俺は永遠に貴方の犬で,貴方の仕事をするだけなんです。それが嬉しいんです。
 だのに,あぁ,みっともなくてたまりません。
 面倒なと思うはずのことを呟く彼の体はついぞ触れることのなかったあの柔らかさのかけらもなくふてぶてしく骨ばって筋張っている。だのに奇妙にいとしく感じられるのは,懲りずに幸せにしなければならないと思っているからだろう。彼,一人だけ。

***

山崎がぞわっとするほどの鬼の表情はある意味山崎一人だけの神様だと思う。
あんな顔山崎以外誰も知らなかったら良い。
08-03-14


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